あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

台風近づく月曜日

大雨が降ったので、いつの間にかベランダの蜘蛛の巣が消えていた。レースのカーテン越しに見える女郎蜘蛛の姿はやけにくっきりとしていて毎日いやな気持ちがしていたので、雨とともにいなくなってくれて良かった。

 

使っていないTwitterのアカウントに、フォローもフォロワーも何千人といて、お金の束で顔の半分を隠した男の人からフォロー申請が届いた。少しだけ遡って画像欄を見てみると高級そうなホテルでのフレンチやホールケーキの写真、焼き肉網に乗った高そうな数種類のお肉の写真、ブランドものの服やバッグが入っているようなロゴ入りの紙袋をベンチいっぱいに乗せた写真……一瞬で「贅沢な暮らし」が分かってしまう写真の数々に(またか……)と思ってブロックボタンを軽い気持ちで選んだ。そうすれば、もうこの人の画像欄を見ることは一生ないはず。それなのに「またか」と思うほどこういった写真ばかり載せている「贅沢な暮らし」をしている人とTwitter上でたびたび出会うのはどうしてだろう。一体何をしている人たちがああいった贅沢をできるのだろう。詐欺だろう、と私は思うけれど、詐欺をしている人があんなに楽しそうに自分の顔をSNSにばらまくだろうか?

前職の先輩が去年、一緒にインスタグラムを始めたときにこういった「贅沢な」人からフォローされてとても驚いて、「知らない人からフォローされたんだけど、その人がすごく高級そうな料理とかブランドものの写真とかを載せているの! でも、そういう人って案外多いのね。若い人たちは一体何をやっているの?」と私に訊いてきたので私は「そういう人、他のところにも結構いますよ。きっと詐欺です!」と答えたけれど、自信がない。一体何をしている人たちなんだろう。たくさんいるのは間違いない。

 

昨夜、昔のことを彼に話していたら彼が私のことを「中二」と表現したので「傷ついた! ひどい!」と言った。「ひどい」と言う言葉自体が酷い言葉だと思うので愛しい人に対してはあまり使いたくないのに、つい言ってしまった。でも、「中二」なんて陳腐な言葉で私のあの苦しかった日々をまとめられることは耐え難い。10年前のことなのに、ついムキになってしまう。忘れたこと、上書きし続けたことなのに、思い出すたびに腸が煮えくり返るし、怒った後は虚しさに襲われる。文章を書き続けること自体が、10年前の出来事に因縁づけられている時点で私は永遠にあの時代に縛られ続けているのかもしれず、たぶんこういう私の側面はすべて彼にとってみれば「中二」なんだろうなと思ってしまう。彼には彼なりの傷があるはずなのに、どうして彼は私の傷を見て「中二」だというのだろう。表現のすべてが空虚に思えてしまうから、決してそんな言葉で私をまとめないでほしい。ということで、「ひどい!」に値するよね、彼の言葉は。

 

書きたいことがいっぱいあった気がするのに、唐突に空っぽになった。余計なことは書きたくない。今日はもうおしまい。

 

新しい住処、期間限定の住処は、ネットがつながっているところだろうか。それを望むのは贅沢なのだろうか(贅沢だ)。この日記も、ネットプリント印刷も、ネット環境があればこそ。となると、2018年になるまで冷凍保存ということになってしまうかも。