あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

新しい恋を

 

霧雨の中傘も差さず履き慣れたパンプスのかかとをカツカツ言わせながら夜道を帰ってきた。林檎サワー、巨峰サワー、そしてレゲェパンチを4杯飲んだ。新しい会社の人事担当者と、営業所の部長と、まだうら若き私とで、駅地下の小料理屋で海鮮や、焼き鳥や、揚げ物や、名物料理を食べながら、会社の話やプライベートの話、前職の話、趣味の話、人事の人が飼っている猫が可愛いという話、結婚の話、家族の話、小説の話など、些細なことをたくさん話した。飲みながらの雑多な話の内容を、人はどのくらい覚えているものなのだろう。レゲェパンチはピーチフィズをウーロン茶で割った飲み物で、ウーロン茶を飲む感覚でどんどん飲んだら、4杯目でさすがに気持ちが悪くなり、デザートの和風パフェを残しそうになった。新しい上司達も大分飲んでいたし、お酒に強くないと言った人事の人は帰る時には目を真っ赤に充血させていた。気持ち悪くなるほど飲んだ私はこうして割と素面と変わらずに文章を書けるくらいはお酒に強いらしく、「顔色が全然変わらないね」と年齢が二倍以上の人に褒められた。私はこうして文章を書いて会話の内容を反芻し、永遠に文章として残すことができるけれど、普通、飲みの席での会話を、偉い人は、大人は、どのくらい覚えているものなのだろう。面接の時に話したことと同じような質問をもう一度され、面接の時にどう答えたのか忘れた私は、面接の時の‟設定”を忘れてしまったので、彼と同じ市内に住んでいることや、4年付き合っていることや、結婚を見据えていることなども話してしまった。どうか、酒の力ですべて忘れてもらえたら……と思うけれど、覚えているものなのか、どうなのか。

 

なんでも聞いて、素直に個性を出していい、と「大人」は言う。個性の強い人ばかりだから、あなたも個性を出して働くといい、とか、頑張りすぎず無理しすぎず、悪意を混ぜなければたまに吐き出してもいい、ため込んで折れてしまう前に話してね、と言う。バカな私は真に受けてしまう。「なんでも話していい」と言われるから「なんでも」話すのに、それを説教されてしまう。中庸が難しく思われる。前職でも、「なんでも」話していたのにそれをネタに陰口を言われてしまうことがあった。建前と本音とは言うけれど、みんな、裏表分けすぎじゃあないの? と思う。

 

頑張りすぎない、ということがどういうことなのかわからない私は、貯金がゼロになっても両親にはお金を工面してもらおうとは思わないけれど、そんな私に新しい上司は「頼れるときに頼っておいた方がいいよ」と一般論でアドバイスをした。妙に意地を張るのはよくないので「そうですよね、若いうちだけですもんね」と私は納得して見せた。心の中では意地っ張りな私が、口先だけですけどねと添えていて、ああやっぱり、頑張りすぎないことって難しいよ、と思う。

 

前職の話をするとコンプレックスみたいに、一緒に働いた先輩のことやマネージャーのことが恋しくなったけれど、新しい恋人がいるので元恋人のことを褒めることはできない気持ちで、前職のことを悪く言った。内定者として前の上司ともご飯を食べに行ったな、と思いながら向かいに座る新しい上司を見ていたらたまらなくなり、泣き出してしまうかと思った。最後に泣いたのはいつだったか。思い返すと最終面接が中止になった先月だから、そんなに前でもなかった。

 

「上司」はどこでも、誰でも、似たような話をするものなのだな、と思いながら、前職の人たちのことがいちいちフラッシュバックされるので、いい加減未練たらたらなのをやめたいなと思う。車の運転ができるようになったのは前職の先輩のおかげなので、車の運転をやめない限り一生思い出し続けるのかもしれない。サワーを飲むたび、車で来ていた上司二人がノンアルを頼んだ後に私がレモンサワーを頼んでしまった思い出がよみがえるのかもしれない。初恋のことを一生思い出すみたいに、新入社員の一年間のことをずっとずっと忘れられないような気がする。新しい恋をしたい。新しい上司のことを早く好きになりたい。一生懸命私との会話を考えて、訊き出した情報を横流しにしていた可愛いヤンキー上司の思い出が、ただのエピソードになるまでにはもう少し時間がかかるようだ。

 

駅のエスカレーターの前で別れて、振り返ると二人の上司の革靴の先が最後まで私の方を向いていたので、きっと好きになりたいと思った。