あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

空の白んだ月曜日

徹夜をしてしまった。

 

気がかりなことがあったり、夢が怖かったり、読み進めた本が面白くてやめられなかったりするときに徹夜をすることはあったけれど、今度の徹夜は目的もなくただ漫然と、空が白んでいくのを横目に、隣室から聞こえる物音に耳を澄ませびくびくしたり、みんなが寝静まって更新されないTwitterの更新を待って何度も下にスライドさせたりしながら夜を明かしてしまった。

 

読み進めた本はあまり面白くなかった。

正しく言うと、短編集の中で気が向いた二編しか読んでいないし、描写や比喩が丁寧で文章としては好きだったし、話の進みや設定には無理がなく、人物のバックグラウンドがしっかりとしていて、昨今の軽すぎる設定のエンタメ小説とは違っていて、いいな、と思った。1999年の小説だからスマートフォンはおろかパソコンも出てこない、少しだけ古びた、だけど「古い」というには洗練されすぎている、落ち着いた小説だった。だからあまり面白くはなかったのかもしれない。二編とも「ふーん」と思いながら読んでしまった。文章は好きだったので「ふむふむ」くらいには思ったけれど。

 

日付が変わっても特別なことは何もないし、依然として寝たいと強く思うほど眠くもなく、8月14日をこのまま始めてしまっても良いような気がする。今日は友人たちと温泉に一泊した彼が昼頃に帰宅することになっているので、部屋の掃除をしたほうが良いかもしれない。

 

書きたいことがある日だけここの日記を書いたほうがいいような気がするときもあれば、毎日継続することがいいような気がするときもあり、今朝は後者に思っているので書いたけれど、自分で自分の文章を読み返しても「ふーん」としか思えない。

人の文章の中にも、自分の文章の中にも、珠玉のような表現を求めてしまう。珠玉、それは読んで字のごとく透明に赤いルビーのような宝、のような表現。そんな表現に出会いたいものだ。今、少し眠たい。