あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

盆土産

三浦哲郎の『盆土産』を、お盆が来るたびに思い出す。最近は書店で国語の教科書に載っていた物語をまとめた本が出版されているし、ヤフーでもグーグルでも検索すればすぐに本文が読める。読み直して記憶を新しくしたけれど、頭の中に残っている印象的なセリフは記憶の上塗り前と同じ、姉の「えんびじゃねくて、えびフライ」という、苛立ったような、無関心なような声音でのセリフだ。東京から夜行で八時間の距離の村からバスでさらに一時間の田舎に住む家族の話。分校があったり、崖があったり、村はずれのつり橋があったりするから山奥が舞台だし、言葉から察するにきっと東北……、いや、言葉から察しなくても、東北であったらいいな、と思う。中学の教科書に載っていたから読み上げたのは中学の国語教師だったはずなのに、記憶の中では秋田出身の訛りが強かった小学校の担任の教師の声で再生される。「えんびじゃねくて、えびフライ」。エビフライをかじったオノマトペに「しゃおっ」を用いているのが流石だと思う。「おいしそう」という言葉を用いなくてもその音だけで、こんがりと揚った熱々のフライが想像できて、口の中にそれに近い味の記憶がよみがえるような文章。

 

 

お盆休み明けの彼は今朝、普段より早い電車に乗りたいといい7時30分に起きた。それで早いと言える会社にいていいな、と内心思いながら私も起床して、朝食のためにランチョンマットやボウルの準備をした。準備と言ってもただたまごかけごはんを彼が作るためにボウルにご飯をよそったけだったから大したことはしていないけれど、私も勤め始めたら「大したことない」準備すらできないと思う。何より、8時ぎりぎりまで眠っている彼とは違い、勤め出したら私は7時には家を出なくてはいけない。女が家を出るためには準備時間に一時間はほしいところだから、6時起きになる。6時に起きるなら就寝時間は遅くても24時。19時帰宅で夕食の買い出しをし夕食を作れば21時を過ぎる。後片付けをしシャワーを浴びれば22時、少し気を抜けば23時になる。そのあたりには眠くなりだし、眠るかもしれない。そして朝の6時……。

 

カレーの隠し味にサバの味噌煮缶詰を入れるといい、と母に聞き、彼のお盆休みの最終日だった昨日、試しに作ってみた。市販のカレールーひと箱で二人分のカレーを煮込むと浅い味になりがちだからこその隠し味だったが、彼は「サバ缶の味がするね」と言った。とげはなかったけれど、「おいしくない?」という問いに一瞬の間があって「おいしいよ」だったので、あまりおいしくなかったのかもしれない。連休の最終日で、二人で仲の良い時間をたっぷり過ごした後だったし、身も心もリラックスしていたからこそ彼のその間にも(口に合わなかったかな……)と胸の中でつぶやいただけで済んだけれど、もしも6時起きの19時帰りが続く平日に手塩をかけて作った料理に対して無言の文句を言われようものなら、拗ねない自信が全くない。カレーについては特に、以前作ったカレーが一番安価な市販のカレー粉を使ったら味に深みがなく「物足りないね」と言われてしまったからこそ隠し味を考えて作ったものだった。試行錯誤して、前よりもおいしくしよう、うまくつくろう、と思っているものが不評だったら、仕事帰りで余裕のない私は、泣きだしてしまうかもしれない。

 

彼が盆土産に買って帰ってきたたまごかけごはん用の醤油を入れすぎて、少ししょっぱすぎるたまごかけごはんを朝食に食べながら、こんな朝を過ごせるのも今だけだなあと思った。