あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

寝ても覚めても眠い日に

朝7時30分にすっきりと目を覚ましたので、「仕事でしょう、起きなきゃ」と隣で眠っていた彼を揺り起こした。まずブラックコーヒーをマグカップ一杯なみなみと飲み干して、食べられそうなものをテキトーに座卓に広げた。彼は起き出してスーツに着替えると髪をワックスで整えながら「寝癖がなおらない」と小さく悲鳴を上げていた。昨夜の残りのお味噌汁を温めなおして、大きめのお椀に麩を入れて沸騰した味噌汁をかけると、一人分の朝食ができたので彼に伝え、私は彼が食べないと言ったものだけを食べようと思い、茶碗に少しご飯をよそって彼の右隣に座った。キャベツのお浸しは食べない、と言われたので、私が食べた。「亭主関白だね」と私が言うと、彼は首をかしげた。「寝癖がなおらないんだ」と言われたので目を上げたら、右の髪の毛が10時の方向にぴょこんとはみ出ている。「よく見ないとわからないよ」と言ったら「でも、なおってないでしょう」と言われて、そうだねと思った。

 

お盆の帰省を明日に控えた彼が、雨の降らないうちにキャリーケースを会社に置いておくというので、駅まで車を出した。玄関のカギを締めて、可燃ゴミの袋と免許証の入った財布だけを持ってテキトーな服で外に出ると、気まぐれに雨粒が落ちてきた。ゴミを出す前にピッと車のカギを開けると彼は後部座席に荷物を積んだ。私はゴミ置き場の緑色のプラスチックのネットの下に袋を転がしてから車に乗って、通学している小学生や、傘をさしてふらふらしているご老人が多い狭い道路を彼に「気を付けて、気を付けて」と言われながら運転した。駅前のコンビニで車を降りるとき彼に「今日は帰るからね」と言われて、夕飯のリクエストを訊くと「今まで食べたものの中で」と言われたので、今夜は照り焼きチキンにしよう、と閃いた。

 

そんな、ありふれた朝がいつか懐かしくなるのかもしれないと思ったので書いた。

 

寝覚めの冷たいブラックコーヒーや、彼の隣で食べる朝食や、ワックスで抑えきれなかった寝癖、緑色のプラスチックのネット、小雨の中の車やワイパーの動き、「ありがとね」と軽く頭をなでる右手、そういえば今朝は「いってらっしゃいのぎゅう」をしなかったこと、せっかくすっきり起きたのに帰宅してまた寝なおしたこと、寝なおした夢の中では、なかなかうまく眠りの底へ行けずに夢の中でも眠たくて眠たくて、仕事始めの肝心な日なのに眠たくて目が開けられず、ーー申し訳ありません、眠くてーーと言いながら目を閉じ、会社説明を聞いている場面が二回もあり、寝苦しく、3時間も眠ってしまった。

 

引っ越してきたこと、仕事が決まったこと、これから研修へ行くこと、を話したときに私の命の恩人たる医師は「順調ですね」と言ったけれど、仕事への不安も去ることながら遠距離恋愛になることへの不安もあり夢にうなされ、彼への過剰なサービスと欲求不満な毎日とが、本当に「順調」なのだろうか?

 

胸がきゅんとする少女漫画の主人公よりも、冴えない毎日にくたびれた漫画のOL主人公に感情移入をするようになった。夫に不満はないけれど、どこか満たされずに日々を平穏に、退屈に過ごす主人公の気持ちも痛いほどわかるようになった。どちらにせよ結局は、自分のことを主人公だと思っているんだけど。

 

転職エージェントの人からお別れのメールが来たけれど、大して感動もせずに返信をしたあたりが、大人になってしまったなあ、という感じ。ビジネスは冷たく、表面上は感動して見せた。これで、転職サイトをあらかた退会したことになるので、明日からはメールボックスが静かになりそう。

 

こんな毎日も、いつか懐かしくなるのかな。早く20歳になりたかった19歳の頃が懐かしいのと同じように、案外早く、懐かしくなるんだろうな。

暗雲立ち込めたる心境

前職でミーティングの時間を2回もずらしたことを怒られたなあと思い出しながら朝寝をしたら、前職の人たちが出てくる夢を見た。

 

前職、とても自分に合う仕事だったと思っているけれど、いかんせん「なんでもやさん」だったので大変だった。同じグループに事務所全体のマネージャーがプレイヤーとして混ざっていたので、マネージメントの新聞記事を朝礼で読み上げておいてほしい、などと全く新入社員がすべきではないことを頼まれることが多かったのは苦痛だった。偉い人が読み上げるべきものを新入社員が読み上げることで、長く働いている社員からの目線が厳しくなっていたように思う。社内でのメール代替品として運用していたアプリでダイレクトに「新入社員のくせに」精神がつまったお叱りのコメントをもらったのにはもしかすると、マネージャーと親しく働いていたのが原因だったのではないかと今になって思う。

 

同じグループの人たちは新入社員の私にも分け隔てなくフランクに付き合ってくれたし、分け隔てなくいろいろな仕事を振ってきたので、私は彼女たちと対等に仕事をしていると思っていたようだった。「ようだった」というのは、当時はそういう態度をとっていたと気づいておらず、今朝唐突に気づいたからだ。私は彼女たちと「同じ」仕事をしているので「対等」だと思い込んでいた。

もちろん、礼節をわきまえていなかったわけではないし、失礼な態度をとったわけではなかったけれど、毎週先輩の予定に合わせてずらされてばかりのミーティングだったので、私も都合が悪くなれば時間変更をしてもよいミーティングだと思ってしまっていたのは、全くよくなかった。「分け隔てない」ことは「対等である」ということとは別問題だったのだ。先輩はしてもよいが私がしてはいけないことというのはあるのだ。私が私の都合により2回もミーティングの時間を変更したあと、先輩は「自分勝手すぎる」と私に言った。今思い出すと、とても恥ずかしい。

またある時は別の先輩社員に「誰も教えてくれないことだから言うけれど」と前置きをされたあとに「あなたからあの人にあんな頼み方をするのは大変失礼だ」という旨のお叱りを受けたことがある。「あの人」というのは別のグループの一番偉い人で、偉い人ではありながらもプレーヤーでもあったので私が普通の社員に頼むようなやり方でその人に話したのが目についたらしい。そういうことを知らずに、頼んでしまったのが悪かったのだ。

 

怒ってくれる人、注意してくれる人というのは、私のためを思ってそうしてくれていると思うのでとてもありがたいことなのだし、もちろん世間知らずの私が勝手に「対等」だと思い込んでしまったのが悪いのだけれど、現場と言うのは「フランク」を謳いながらも当然いろいろな段差があり、このようなことが生じる。現場に入らないとわからない段差が、新しい会社への入社を控える今、私にはとても恐ろしく、巨大な不安要素なのである。

 

入社後のスケジュールを見て、13日間休みなしの期間があることに気づき、ゾッとしている。こういうことは往々にしてあるものなのだ……。台風がなかなか去らず、暗雲立ち込めたる今の空に似て私の心はひどく暗く湿ったものとなっている。

台風近づく月曜日

大雨が降ったので、いつの間にかベランダの蜘蛛の巣が消えていた。レースのカーテン越しに見える女郎蜘蛛の姿はやけにくっきりとしていて毎日いやな気持ちがしていたので、雨とともにいなくなってくれて良かった。

 

使っていないTwitterのアカウントに、フォローもフォロワーも何千人といて、お金の束で顔の半分を隠した男の人からフォロー申請が届いた。少しだけ遡って画像欄を見てみると高級そうなホテルでのフレンチやホールケーキの写真、焼き肉網に乗った高そうな数種類のお肉の写真、ブランドものの服やバッグが入っているようなロゴ入りの紙袋をベンチいっぱいに乗せた写真……一瞬で「贅沢な暮らし」が分かってしまう写真の数々に(またか……)と思ってブロックボタンを軽い気持ちで選んだ。そうすれば、もうこの人の画像欄を見ることは一生ないはず。それなのに「またか」と思うほどこういった写真ばかり載せている「贅沢な暮らし」をしている人とTwitter上でたびたび出会うのはどうしてだろう。一体何をしている人たちがああいった贅沢をできるのだろう。詐欺だろう、と私は思うけれど、詐欺をしている人があんなに楽しそうに自分の顔をSNSにばらまくだろうか?

前職の先輩が去年、一緒にインスタグラムを始めたときにこういった「贅沢な」人からフォローされてとても驚いて、「知らない人からフォローされたんだけど、その人がすごく高級そうな料理とかブランドものの写真とかを載せているの! でも、そういう人って案外多いのね。若い人たちは一体何をやっているの?」と私に訊いてきたので私は「そういう人、他のところにも結構いますよ。きっと詐欺です!」と答えたけれど、自信がない。一体何をしている人たちなんだろう。たくさんいるのは間違いない。

 

昨夜、昔のことを彼に話していたら彼が私のことを「中二」と表現したので「傷ついた! ひどい!」と言った。「ひどい」と言う言葉自体が酷い言葉だと思うので愛しい人に対してはあまり使いたくないのに、つい言ってしまった。でも、「中二」なんて陳腐な言葉で私のあの苦しかった日々をまとめられることは耐え難い。10年前のことなのに、ついムキになってしまう。忘れたこと、上書きし続けたことなのに、思い出すたびに腸が煮えくり返るし、怒った後は虚しさに襲われる。文章を書き続けること自体が、10年前の出来事に因縁づけられている時点で私は永遠にあの時代に縛られ続けているのかもしれず、たぶんこういう私の側面はすべて彼にとってみれば「中二」なんだろうなと思ってしまう。彼には彼なりの傷があるはずなのに、どうして彼は私の傷を見て「中二」だというのだろう。表現のすべてが空虚に思えてしまうから、決してそんな言葉で私をまとめないでほしい。ということで、「ひどい!」に値するよね、彼の言葉は。

 

書きたいことがいっぱいあった気がするのに、唐突に空っぽになった。余計なことは書きたくない。今日はもうおしまい。

 

新しい住処、期間限定の住処は、ネットがつながっているところだろうか。それを望むのは贅沢なのだろうか(贅沢だ)。この日記も、ネットプリント印刷も、ネット環境があればこそ。となると、2018年になるまで冷凍保存ということになってしまうかも。

麦茶を2本

湿度の高い曇天、火曜日。

寝坊して二人で朝8時まで寝ていて、慌てて起きて、見送って、私は午前中のうちに洗濯物を干した。

 

今日から8月。

今日は人生で初めて、飛行機に一人で乗る。子どものころに母方の実家に行くために乗った1回目、彼とUSJへ行った帰りに乗った2回目、を経て、3回目にしてついに一人で飛行機に乗ることになった。乗り方に自信がないけれど、とりあえず乗れば着くよね? と思っている。大丈夫かな。泊まりなので麦茶のペットボトルを2本連れて行く。

 

人生で初めて、という出来事が残っているのは、年を取れば取るほど、嬉しいことになるね。「哲学とは、世界に驚くということ」と、大学時代に講義で聴いたことがあるけれど、「初めて」はいつも驚きでいっぱいで、これが哲学かあ、と思った。そして今日は、初めてセブンのネットプリントで自分の作ったファイルを印刷してみる。初めて!

 

「アイスを我慢した貯金」を始めたい、と思いながら今日もアイスを食べてしまいました。南無。

7月最後の月曜日

月曜日、初めまして。

今日は7月最後の月曜日。

いつか誰かに見せるかもしれないので、そう大きなことは書けないけれど、こつこつ、ブログを書いていくことにしました。

 

「名前は単なる記号にすぎない」という言葉を何かの本で読んだことがあって、自分の本名に愛着こそあるものの、いろいろな場所でいろいろな名乗り方をしているので、ここではどうか、何とも呼ばないでください。

 

晴天とは言いがたい今日のお天気ですが、ハリー・ポッターと友人1人の誕生日、月曜日、7月最後の日、なのでちょっとおめかしをして気分を上げて、美容院に行ってみようかなと思います。

朝食に、昨夜炊いた炊き込みご飯のおにぎりを食べました。鶏肉ときのこの炊き込みご飯。お醤油のしみ込んだ舞茸と柔らかく煮込んだ鶏肉がおいしくて、嬉しくなりました。

寝不足だけどすっきり起きて、彼を仕事に送り出すのに二階からずっと手を振ったので、きっといい一週間にしたいです。月曜日、私は7月のある月曜日に生まれたので、7月も月曜日もお気に入りです。

 

「こつこつと」、「日々の流れにより添って」、「丁寧に」。

を三本の目標に、これから書いていきたいなあと思います。

 

おしまい。