日々の記述

ここでは日記を書いています。/庵乃さか:X@saracara1899

24.07.15〜21 出会えて良かった

24.07.15㈪

 海の日。

 毎年海の日に夫の資格試験があるので7月のこの三連休は休日らしくならない。受かるまで受け続けなければならないらしい。

 それで一日一人だったので書写をして過ごした。人の文章を書写するとその文章の良いところも悪いところも分かるし、内容が頭に入るし、とても勉強になるから時々する。

 夜は夏野菜でカレーを作った。豚肉と玉ねぎの他に三色のパプリカと、トマトと、ピーマンと、茄子を入れた。ソースとマヨネーズを入れたから味が濃くなり、市販のルーの割合を控えめにしたのでしゃぱしゃぱしたスープカレーみたいになった。野菜から水分がたくさん出てしまったみたい。

 

 

24.07.16㈫

 武者小路実篤の『友情』を読んだ日。

 月末の読書会に向けて読んだ。参加している読書会は、「新潮社が選んだ名作20選を順番に読もう」という会で、この読書会に参加しなかったら手に取らなかっただろうなと思う本ばかりだから、読み終えたあとまた、読書会の存在がありがたく感じられた。

 お昼ご飯にしようとしたらテレワークをしていた夫がお茶碗を二つ棚から落として割ってしまった。「形あるものはいつか壊れるものだよ」と定型文で慰めつつ「気に入ってたのにな〜」とも言った。でも閃いて「茶碗 割れる」で検索したら、良いことが書いてあったので信じることにした。

 

 

24.07.17㈬

 生涯学習支援センターのブックトレードに行った日。

 初めてだったので様子見も兼ねて三冊の本を持参して交換に出し、三冊の本を引き取ってきた。幸田文の随筆集を手に入れられたことがラッキーに思えた。幸田文は名前だけ知っていて、文章は初めて読んだ。どの随筆も短いのにきっぱりとまとまっていて文体も好きだったから、出会えて良かった。

 

 

24.07.18㈭

 書いたり読んだりの日。

 午前中は小説を5枚書いて、午後は井上荒野さんの『夜を着る』を読み、作品研究のためのメモを取った。小説も荒野さんの作品研究も先は長い。

 

 

24.07.19㈮

 書いたり読んだりの日。

 書き物に集中できる日だった。上限10枚の公募をまた最初から書き直して新しいバージョンで書いたけれど、そろそろどれを出すか決めて推敲しなければいけない段階になってきてしまった。今回ばかりは締切は守れそうだから安心しているけれど、油断は禁物。

 そして長編の冒頭部分もまた書き直して前のとくっつけたらそっちも11枚ほどになった。もう嫌と言うほど色んなパターンで書いていて設定もそのたびに少しずつ変わっているからいい加減に固めていかないといけないのにうまくいかない。設定を練りに練ってノートにメモばかり増えているのにまだ何か足りない。書きたいことまで辿り着けない。

 エッセイも書いた。幸田文の随筆を読んだら、エッセイは短ければ短いほどいい、みたいな気持ちになってきた。わたしも短く書く技術を磨きたい。

 夜は井上荒野さんの『僕の女を探しているんだ』を読んだ。3つの話でぼろぼろ泣いた。いい話だなあって思った。荒野さんの「いい話」は世間一般に流通する心温まるいい話、とは全く違う。何が違うか語れないけど何か違う。なのにいいなあと思えるからすごい。何が違うのか説明できるようになりたい。

 

 

24.07.20㈯

 『金の国水の国』を観た日。

 わたしはテレビが嫌いだけど夫はテレビが好きなので、土日は録画消費のためにテレビが点きっぱなしになっている。わたしはそれがすごく嫌なのだけれど、それなら映画を観ればいいんだ、と気付きAmazon Primeから『金の国水の国』を選んで、観た。とても良かった。

 ドラマだって時には観て良かった、と思うのもあるにはあるけれど、週ごとに話が途切れて毎週観ないといけないところが嫌い。おそらく「観ないといけない」義務感のせいで、時間を奪われている気になるからだろう。映画だとそう思わずに済むから、これからは夫が休みの日には映画も観てみようと思った。

 

 

24.07.21㈪

 『グリーンブック』鑑賞の日。

 大学で留学していた友だちがずいぶん前に「絶対に観たほうがいい映画」だとおすすめしてくれていたのを何年か越しにようやく鑑賞した。

 ニュースとか歴史の授業とかでうっすら知った気になっていたけど、黒人差別のこと全然わかっていなかったなと思った。黒人ってだけでこんなに差別があるんだ。もちろん映画だって全てを語りきってはいないだろうと思う。それも余計に悲しかった。人間の愚かな本質のひとつに、自分と違うものを違うからと言って虐げないと自分を守れない気がするというのがあるんだろう。わたしも差別されることがあって悲しい思いをしてきたから、出来る限り差別したくないと思っているのに、していると感じる時がある。差別が憎い。自分のことも嫌になることがたびたびある。どうしたらいいだろう、何ができるだろう、と考えながら、何もできていない。ただ差別は憎い。わたしも何かしたい。

 土曜日曜と、退職した会社の人から連絡が来ていて近況を聞いた。職場にいなくて本当に良かったと思うような状況になっていたけれど、そういう状況を現場で目の当たりにできなかったのは勿体なかったかなとも思った。でもそれは高みの見物としての話で趣味が悪いことなので、やっぱりわたしはそこにいなくて良かったのかもしれない。単純に、悪い人になりたくないから。