日々の記述

ここでは日記を書いています。/庵乃さか:X@saracara1899

24.08.26〜09.01 メノウみたいな飴色の細長いフカヒレ

 

2024/09/03㈫15時

 先週の記事のタイトルは「書こうと思えばこんなふうに」という、若干ミスリードを誘うようなタイトルにしてみた。タイトルの付け方はその記事の本文中のお気に入りフレーズから取ることに決めたのだけれど、切り取り方によってはミスリードを誘う。そう思いながらも先週はそういうタイトルにしてみたのだけれど、「してみた」結果、ちょっと居心地が悪いというか気持ち悪いというか、いい気持ちがしなかったので、今後は不快にならない、ミスリードを誘わないタイトル付けを心がけたい。

 ちなみに先週の記事のタイトルは「書こうと思えばこんなふうに書ける、という自己紹介のサンプルを用意しているつもりでもある」という文章から取った。切り取った「書こうと思えばこんなふうに」は、豪語する意図はないのにそう捉えられる。それで一週間考えてみて、「書ける」と豪語したことになってしまった食べものの描写について、わたしはまだ「書ける」とは言えない、食べものを描写するには一種の技術が必要だから。と思うようになった。食べものを書くとき、色、味、香り、食感などを描写すれば美味しそうに書けるのかと言えば違うし、誰もが知っている味をわざわざ描写するのもなんだか違うし、食欲をそそられる色気のある文章を書くためにはある種の技術、工夫が必要なのではないかと思った。食べもの自体よりもその食べものにまつわるエピソード重視であっても、食べものの描写の文量のバランス感覚、配置のセンスなどにも技量が必要だろう。

 だから、未来に、公に文章を書く機会がもし頂けるようなことがあったときに、ぶっつけ本番にならないように、普段から食べものを美味しそうに書く練習や、他の人が食べものをどう描写しているかに着目して文章を読むようにしてみる、研究してみるのはどうだろうと思いながら一週間暮らしていた。

 とはいえ今は、他に真剣に向き合っている書き物があるのでそのときではない。ただ実験的に、練習として、誰の損得にも繋がらない場で書いてみるのは正しいと思う。だからまだ二回目でおそらく拙いけれど、いつかきっと上手になります! 上手になりたいです! という思いを込めて、先週の食べもの日記を書いてみよう。

 

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24.08.26㈪

 フカヒレ松前を食べた日。

 盛岡駅に行く用事があるたびにフェザンの“おでんせ館”の「三陸海産暖簾 山口屋」で購入するフカヒレ松前の冷凍があったので解凍して、白飯にたっぷり乗せて食べた。

 近ごろの「令和の米騒動」と言われている米不足に伴って、普段買っている安いブレンド米が安く手に入らなくなってしまったので、ええいままよ、の気持ちで先月から高価な「つや姫」に切り替えたので、我が家の現在の白飯はびっくりするくらい美味しい。米農家の孫だという友人が、米の銘柄によるかたさの違いを熱弁していたのをいつか聞いたことがあるけれど、「つや姫」はおそらくかたい米の部類に入ると思う。水加減は以前のブレンド米の頃と変えていないのに、粒立っていて、かためのご飯が好みのわたしにはぴったりだ。味はあっさり甘く、とても美味しいお米だ。

 フカヒレ松前は、きらきら輝く数の子のつぶつぶと、メノウみたいな飴色の細長いフカヒレと、しんなり透き通ったにんじんと、細切りの昆布がちょうどいい具合に混ざり合っている甘塩っぱい松前漬け。それらを、かためであっさりした味わいの「つや姫」にたっぷり乗せて口いっぱいに頬張るときに感じる多幸感は、他では得がたい。ご飯は口いっぱいに頬張るのがいちばん美味しい。

 お米が高くなっても、お土産のフカヒレ松前が高くなっても、時々は味わいたい贅沢だなあと思った。

 

24.08.27㈫

 ひき肉カレーを食べた日。

 夫から、ひき肉が食べたい、とリクエストがあり作ったカレーが残っていたので、一人で食べた。夫は普段あまり食べたいものを言わず、わたしがテキトーに考えて献立を決めているので、リクエストがあれば可能な限り答えるようにしている。

 ひき肉をメインにして作ったカレーは、お行儀はよくないけれどご飯としっかりかき混ぜて食べると美味しいので、夫が出張でわたし一人だったのもあり心置きなく混ぜて食べた。目玉焼きがあればなお良い、と思いながら、目玉焼きを焼く時間も惜しんでガツガツ食べた。カレーライスはガツガツ食べるのがいちばん美味しい。

 

24.08.28㈬

 森永マリービスケットを食べた日。

 わたしの母が作るレアチーズケーキの土台と言えばマリービスケットだった。兄弟が多かったので、ケーキ屋さんでケーキを買うなどということは子どもの頃は皆無で、誕生日もクリスマスも、ケーキは母が手作りをしていた。母がよく作っていたのがレアチーズケーキで、わたしもその時々で手伝ったものだが、マリービスケットを粉々にするのは特によく手伝った。隙を見て盗み食いするためだった。

 土台にするために、溶かしたバターとなじませたマリービスケットも当然美味しいのだけれど、そのままでもマリービスケットはもちろん美味しい。マリービスケット100%の土台は高級になってしまうので、プレーンのクラッカーを混ぜることもあったから、クラッカーと混ざる前につまみ食いするのが常だった。子どもの浅知恵でバレないように食べたつもりでも、ケーキの生地を混ぜていた母が振り返って「あれ、思ったより少ないね?」と指摘するほど食べてしまうこともあり、そういうときは「ぎくっ」とわざとらしく言うことで事なきを得ていた。

 わたしは実家を出てからケーキを作ったことはほとんどない。お菓子作りは、せいぜい余裕がある年のバレンタインデーに「チョコレートの湯煎は年に一回と相場が決まっている」と言いながら重い腰を上げるくらいしかしない。だからマリービスケットは、レアチーズケーキの材料ではなくそのまま食べるために買う。マリービスケット100%で食べるなんて贅沢だなあ、と思いながら一人で何枚でも食べる。マリービスケットはわたしにとって、時々会いたくなって食べる懐かしい味だ。

 

24.08.29㈭

 カプレーゼを食べた日。

 今年の夏はトマトにはまったので、生涯で食べてきたトマトと同じくらいのトマトを今夏だけで食べたと思う。夏の初めに、トマトは身体のむくみを取るのにいいらしいという情報を得たからなのだけれど、「むくみをとるため」というのは大義名分で、トマトを美味しく食べられる年齢になったのだと思う。一食で二個を食べてしまうとお腹を下すことがわかったので、一食で一個までにしているが、食べない日はなかったのではというくらい食べた。

 トマトは大胆に縦に四等分に切って器に盛って塩こしょうで食べたり、中濃ソースをかけて食べたり、みんな大好き「びっくりドンキー」のマヨネーズをかけたり、かけるものはその時々で様々だけれど、輪切りにしたトマトとモッツァレラチーズを一緒に皿に盛って、オリーブオイルを回しかけて塩こしょうを振って食べる……つまりカプレーゼにするのは格別に美味しい。おしゃれな食卓とほど遠い、思いつき創作家庭料理しか並ばないわたしの食卓で、カプレーゼだけは異国情緒溢れて、見目良い料理。見映えの割に手軽に作れるのも良い。誰かを家にお招きしておもてなしすることがあれば思い出したい料理である。

 

24.08.30㈮

 貝入り海鮮丼の日。

 夫が出張から帰ってきたので待ち合わせて夜にスーパーへ行き、お刺身を割引で買って海鮮丼にした。貝が食べたい、とまた珍しく夫がリクエストしたので貝のお刺身も買って作った。一人あたり500円前後で、まぐろ・トロ・サーモン・真鯛・蒸し海老・ホタテ・ツブ貝・赤貝を乗せた贅沢海鮮丼がお腹いっぱい食べられるので、自炊は良いものだ。

 ところでこの「自炊」という言葉はなんとなく単身者のためにある言葉のようなイメージがある。未婚の頃は「自炊するの?」と訊かれていたのに既婚者になってからは訊かれないからだろうか。でもそれって、結婚したら料理をするのは当たり前、みたいな意識が透けていないだろうか。結婚したら自動的に料理ができるようになるわけではないのになあと思う。肩書きが変わっても人間の中身はなかなか変わらないのに、不思議だなあ。わたしは結婚前でも一人暮らしのときでも、実家にいるときでもそれなりに料理してきたのにな。重要なのは「それなりに」の中身だけれど、でも料理が「それなりに」できることは当たり前ではないと思う。特別なことではなくても当たり前ではない。何かをする技術というのはそういうものだ。できる人は多いから特別ではないけれど、できない人もいるのだからできることは当たり前ではない。

 ただし「料理ができる」と言うと自分の中で語弊が生じるので、「それなりに」という言葉は添え続けたい。

 

24.08.31㈯

 酢飯・納豆・海苔ご飯を食べた日。

 前夜に海鮮丼の酢飯を作りすぎたので、お昼に納豆を混ぜて刻み海苔を散らして食べたら、口の中が納豆巻きの味になって大変良かった。

 夕方は肉豆腐とネギ塩豚丼の具とジャーマンポテト風肉じゃが風ポテトを作った。揚げ豆腐を多めの油でじっくり焦がしてかために仕上げながらネギを刻んで、まな板を洗って、大袋で買ったじゃがいもを洗って細切りにした。じゃがいもをレンジで温めながら、揚げ豆腐にひき肉をくわえて炒めながら、豚肉とネギに火を通しながら洗い物を……、といくつもの手順を同時並行でするときにわたしはいつも、脳のことを考える。

 わたしの脳は料理くらいなら同時並行作業を難なくできる。それはとてもありがたい。でも料理ではできることでも、かつての仕事ではほとんどできなかった。……料理をしていると頭が冴えてきて、そういうことにまでに考えが及んでしまう。

 かつての仕事は、好きだったのに、わたしには難しい仕事だった。好きだろうと向いていないことなんて山ほどあるだろうけれど、好きなのに向いていないとわかるのはとても切ない。努力が飽和してそれ以上上にはいけない限界に達したからわたしは会社を辞めたのだと思う。理由は他にもあるけれど、いちばんはそういう理由だった気がする。そんなことを考えた。

 他の人は料理をしながら一体何を考えているだろうか。

 

24.09.01㈰

 切り干し大根を作った日。

 切り干し大根はダイエットにいいと聞き去年はよく作ったのだけれど、今年は飽きてしまったのであまり作っていなかった。ただ材料は揃っていて、そろそろ傷んでくる予感がしたので大鍋でたっぷり作った。

 わたしは放っておくと食べ過ぎで太るので、ダイエットは常に意識している。だからダイエットに良いと聞いて作るもの、食べるものを決めがちで、美味しいと感じればある期間はよく食べるのに、食べ飽きた途端食べるのを辞めてしまいがちだ。去年は間違いなく「これさえ食べていれば太らない! あなたが人生のパートナー! ずっとあなたに出会いたかった!」とまで褒め讃えていた第一位の切り干し大根が今年は全く登場しないので、今年はまった第一位のトマトも、第二位のキウイも、来年はどうなっているかわからない。ただ健康のために体型を維持するという意味でのダイエットは必要なことなので、手を変え品を変えていろんなダイエット向きの食べものを覚えていくためには気が変わるのは良いことのような気もする。

 

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2024/09/03㈫17時

 今日はこれでおしまい。

 書いてみて、やはり食べものを書く技術を上げたい、今書いている小説が終わったら他の人がどういうふうに書いているか着目して読みたい、と思った。でも今週来週は小説の執筆を頑張ろう。(了 原稿用紙13枚程度)