日々の記述

ここでは日記を書いています。/庵乃さか:X@saracara1899

24.09.09〜15 まっすぐ歩む人たちがわたしは好きだから

 

2024/09/16㈪㈷17時

 今日突然、昔好きだった言葉を思い出しましたので戒めとして紹介します。

 「勝って、勝ちに傲ることなく、

 負けて、負けに屈することなく、

 安きにありて、油断することなく、

 危うきにありて、恐れることもなく、

 ただ、ただ、一筋の道を、踏んでゆけ。」

 柔道の父・嘉納治五郎師範の言葉、とのこと。わたしは中学生のとき強豪校の柔道部にいた(!)ので、この言葉はよく見聞きしました。今まですっかり忘れていたのに、不意に思い出したので、自戒として。

 先週は第11回林芙美子文学賞への挑戦の、大詰めの週でした。わたしとしてはとても苦しい一週間で、何度も自分に負けそうになるのを、自分にとって都合のいいありとあらゆるものを糧に頑張って、なんとか自分に負けずに書き上げ、無事、締め切り当日の17時半頃に郵便局へ原稿を預けることができました。

 それで、たった三、四日前のことなので、まだまだ興奮冷めやらぬ状態ではあったのですが、自分の来し方を振り返ったり、Twitter(現X)で公募に挑戦している人たちが公募への思いを書いた記事などを読んだりしているうちに、少し落ち着いて考え直してみました。わたしの、ささいな喜びの報告が誰かにとってはナイフであるかもしれないこと。

 「嫌なら見なければいい」という言葉がわたしはキライです。見たくなくても目に入ってしまうものもあるから。特に、Twitterなんてその最たるもので、普段何の気なしにフォローして見ている人が、突然自分にとってのナイフを放って寄越すようなことがたびたびあります。

 そういう観点で改めて我が身を反省したときに、わたしも、自分の「林芙美子文学賞の作品は~」とかなんとか、興奮が抑えられないような状態での発言はいかがなものかと思うようになりつつあった。そんなとき、冒頭の言葉を思い出したわけです。

 わたしは今回自分自身との戦いには、めでたく勝つことができました。なんとかかんとか有効数本、最後は寝技で押さえ込み、くらいの苦しいもので、すっきりした一本は取れなかった、みたいな勝ち方だった。でも勝ちは勝ちで、自分に勝ったことは本当に、わたしにとっては喜ばしいことではあるのだけれど、「勝ってその勝ちに傲ることなく」の精神を思い出せば、傲っている場合ではないのだと思った。

 なので、自分の勝ちに傲るのはやめます。そして大人しく次の自分との戦いに備えることにします。書き終えたときの思いも、うまく書けたところを自己評価で褒めるのも、そうでないところのうるさいほどの反省も、他の人がうっかり目にすることがないように、自分だけのノートに書いて終わりにしようと思いました。

 この考え方にもまた異論はあるでしょう。けれど異論ばかり唱えてもしかたがないので、わたしは、嘉納治五郎師範の言葉に倣って、勝ちに傲ることも、負けに屈することもなく、「ただ、ただ、一筋の道を、踏んで」行くつもり。「道」って言葉、素直に好き。夏目漱石の『こころ』にも出てくる「道」がある。あとは高村光太郎の『道程』とか。GReeeeNの『道』とか。自分の「道」をちゃんと考えて、見つめて、まっすぐ歩む人たちがわたしは好きだから、そういうひとにわたしはなりたい。宮沢賢治の精神も好き。

 という長い前置きを経て、以下は先週の食べもの日記です。

 

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24.09.09㈪

 ロピアでシュウマイを買って食べた日。

 体調不良があり午前中は病院へ、午後はその予定になっていたハローワークへ行き、帰りに仙台駅のヨドバシのロピアに行って、お惣菜コーナーでシュウマイを買って帰って、一人でぱくぱく食べた。

 ロピアで買い物をするのは初めてだったけれど、食材も惣菜も安くて嬉しかった。買ったロピアのシュウマイはごろごろ大きくて、レンジで温めたら肉汁があふれ出るくらいジューシーだった。醤油をつけるだけで美味しくて、ゆっくり食べようと思っていたのに買ってきた一パックを一気に全部食べきってしまった。

 一日歩き回った疲れで食後眠ってしまったけれど、自己嫌悪する暇もないほど原稿が切羽詰まっていたので火曜日頑張ろう、と切り替えて、諦めてブログだけ書いた。

 この日書いたブログはなかなかいろいろな方にご好評で、反応がたくさんいただけて嬉しかった。常に「読まれなくてもいい」という思いで書いてはいるけれど、読んでくれたんだなあと知る機会があると、あっという間に嬉しくなってしまう。

 読んでくださる方、本当に、いつもありがとうございます。

 

24.09.10㈫

 鶏鍋をアレンジした蕎麦を食べた日。

 日曜日に作り置きしておいた鶏鍋を蕎麦の具にして鶏鍋蕎麦にした。

 お米の購入を見送っていて、家にある分もだいぶ少なくなってきたので麺類の割合が増えてきた。9月の初旬で夫の出張期間がだいたい終わって内勤期間に入ったので、自分が忙しくても夕飯は作らなければいけなかった。とは言え、日曜日に作り置きしておいたおかげで、蕎麦つゆ代わりに鶏鍋をアレンジするだけで夕食になったので、スムーズで良かった。夫の出張期間中はテキトーな食事でOKだったのだけれど、今後は夕食のために作り置きをしよう。しばらく手作り料理をTwitterで披露する機会が増えそうな予感。

 

24.09.11㈬

 カントリーマアムやアルフォートのお菓子をたくさん食べた日。

 いよいよ締め切り二日前になり、つべこべ言っていられなくなってTwitter断ちをし、「あーあー」とか「うーうー」とか言いながら一日書いていた。おやつを食べて濃いコーヒーを飲みながらとにかく匍匐前進で書いた。

 

24.09.12㈭

 朝6時に親子丼を食べた日。

 本当に本当にまずい。ついに締め切り前日になった! となって夫が早起きの日だったので一緒に5時に起きて、夫を見送ってから6時に、作り置きの鶏鍋に卵をくわえて親子丼にアレンジし、朝からがっつり食べて一日頑張った。

 わたしは朝だろうと昼だろうと夜だろうとお構いなしに食べものを前にすると食欲が出るタイプで、食欲不振に陥ったのは過去二回しかない。一回目は子どものときのインフルエンザ、二回目は去年の夏にコロナに罹患したとき。その二回ばかりは何を見ても食欲が起きなかったけれど、人生でたった二回。おたふく風邪になって咀嚼ができないほどリンパが腫れたときも、扁桃周囲炎がひどくなって入院沙汰になって点滴を受けて重湯の病院食が出たようなときでも、食欲はあり痛みと無関係に空腹を感じるわたしなので、朝から丼いっぱいの親子丼を食べるなんて、朝飯前なのだった。

 朝からがっつり食べたおかげで、7時から21時までの作業に耐えうることができて良かった。けれど今後は余裕を持ったスケジュールになるようにしたい。

 

24.09.13㈮

 夜に原稿完成祝いと称してロピアのピザを食べた日。

 3時に起きて書き始め、11時に原稿が完成して、11時から16時までは読み返して、表記揺れや誤字などのチェック・修正を行なった。

 ようやく17時に家を出て、いちばん近い郵便局へ出しに行ったら閉まっていた。原稿はレターパックに入れたので、郵便局前のポストに投函しようかな、とぼんやり思ったけれど、せっかく頑張って原稿完成したし、記念に大きな郵便局へ行こう……と思い直し公共交通機関で中央郵便局へ向かった。

 向かいながら、寝不足のハイテンションでいたから気付かなかった「当日消印有効」の意味を思い出して青くなった。郵便物回収時間外にポスト投函するとその日の消印は付かないということをきれいさっぱり忘れていた。寝不足は判断能力が落ちて危ない。当日消印有効の原稿に9月13日の消印が付かず失格になるところだった。危なかった。今作執筆のために努力した二年間の苦労が水の泡になるところだった。ぞっとした。

 中央郵便局はまだ開いていて、窓口で「今日の消印つきますよね?」と冷や汗のまま訊いたら、窓口の方がにこにこして「今日でいけますよ!」と言ってくれた。たぶん「原稿在中」の文字を見て心の中でエールを送ってくれたんだろうな、と思った。そういう表情をしていた。見知らぬ郵便局員さんの思いが伝わって来て、人間ってやさしいなあ、という嬉しさで胸がいっぱいになった。

 それで、中央郵便局からふらふら歩いて仙台駅に行って、夕食を作る気は起きないだろうからと思ってまたロピアに寄って、今度はピザを買って帰った。ロピアのピザは安いのにちゃんと美味しかった。

 帰宅した夫に「小説出したよ!」と寝不足のハイテンションのまま何度も同じ話を繰り返ししたら、夫はひたすらわたしに優しいので、いちいちちゃんと相槌を打ってくれた。夕食のあとはソファでごろごろしたがるわたしに膝枕をしてくれた。夫の膝枕で三時間眠り込んだあと、布団で翌日の昼までたっぷり眠った。

 

24.09.14㈯

 お祝いの「岩塚の黒豆せんべい」を食べた日。

 昼に起きたら、美容院へ行っていた夫が帰りにスーパーでわたしの大好物の「岩塚の黒豆せんべい」を買ってきてくれた。お祝いだと言い、他にもハーゲンダッツなども買ってきてくれた。わたしは夫の優しさも含めて喜んだ。黒豆は炒ったのが好きだ。甘く煮た黒豆ももちろん好きなのだけれど、酒飲み一家に生まれたので炒り豆のほうが好きだ。ある年の結婚記念日には、旅行先のお土産でわざわざ炒り黒豆を買ったほど。

 「岩塚の黒豆せんべい」はいつの間にか9枚入りになっていて時代の流れを感じた。そして以前食べたのと味が変わったような気がしたけれど、夫の気持ちが何より嬉しかったので何も言わずに、にこにこしながらデザートに3枚食べた。

 

24.09.15㈰

 ゴーヤーチャンプルーを人生で初めて作って食べた日。

 夫の会社の人がゴーヤを分けてくれるというイベントが発生し、水曜日くらいから冷蔵庫にゴーヤがあった。ゴーヤは小学校のとき給食で食べて苦かった記憶があり、好んで買うことがなくて、今まで一回も調理したことがなかった。

 ゴーヤは、まず見た目が良くない。ゴーヤが好きな方には大変申し訳ないが、虫っぽい。わたしは虫がどうにもこうにも「無理」なので、もらった日に水洗いをするだけでもぎゃーぎゃー言わざるを得なかった。

 初めて調理する食材なので、珍しくレシピを検索して、家にあるもので作れそうなゴーヤチャンプルーを作った。塩もみをして苦みを抜いたつもりだったけれど、味見の段階でだいぶ苦かったので、砂糖とみりんを大量に入れてなんとか食べられる味にして食べた。

 結論、わたしはこれからも自分でゴーヤを買うことも、調理することもないだろうなと思った。見た目を思い出すだけでちょっとぞわっとしてしまうし、味も、苦みを懸命に抜かないと食べられないという時点で、苦みの存在意義がわからないなと思った。

 ホヤが嫌いな人もこういう気持ちなのかな、とホヤが好きなわたしは夫に言った。ホヤもきっと「見た目が無理」という人もいるだろう。そしてホヤも独特の苦みがある。

 そして今、「海老の見た目が無理だから食べられない」と言っていた人のことを思い出した。その人も海老のことを「虫みたいじゃない?」と言っていた。わたしやその人に虫食の文化がないので、無理な食べものに対して「虫みたい」と思ってしまうのだろうなあと思った。

 ゴーヤが嫌いなことと、嫌いな食べものを虫みたいと表現することについて、申し訳なくは思う。

 

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2024/09/16㈪㈷18時

 18枚あったのを、14枚に減らしてUP。

 次作も自分との戦いに負けないように、頑張る! 次の小説は技ありくらいは取って自分に勝ちたい。努力あるのみ。

 ちなみに、「中学のとき強豪校の柔道部にいたということ」=「わたしがすごく強い選手だった」ということでは全くないので、最後に断っておきます。いつかなにかの種になるかもしれないので、詳細はナイショです。

 また、柔道の試合について「有効」という言葉を使用しましたが、2024年現在はないようです。わたしが中学の頃のルールでは「有効二本=技あり一本」だったような気がするのですが、今では「有効」はないそうです。悪しからず……。