日々の記述

ここでは日記を書いています。/庵乃さか:X@saracara1899

24.09.30〜10.06 神様はきっとアナログだろうから

 

2024/10/08㈫19時
 11時半ごろから15時くらいまでで熱中して書いたこの記事の前置きが、自分が思った以上にエッセイのようになって、よく書けている気がした。それで折を見てエッセイの公募に投稿しようと思いついたので消したら、前置きがなくなってしまった。
 エッセイの公募。過去の栄光自慢と露悪になるけれど、エッセイの公募には今までに数回挑戦したことがある。その結果、手紙エッセイコンクールで入選して文集に掲載されたり、雑誌の公募エッセイで一次選考を通過して名前だけ載ったりした。あとは箸にも棒にもかからないものがいくつもある。その他某コンクールでは華々しい受賞歴(とも一概に言えないけれど受賞は受賞だ)があるけれど、それは本名でやっていたので詳細は書くことができない。
 けれどせんだい文学塾を知ってからテキストとして応募したエッセイで、天狗になっていた鼻を折ってもらってからはひっそりとしている。折ってもらってよかったと思う。そのエッセイを先日四年越しで読み返してみたら、ひどかったからだ。ひどい出来だと思えるだけ成長したということなのかもしれないけれど、こんなものでよく天狗になっていたものだと思った。
 だからわたしの「よく書けた」は今でももちろん疑わしい。自己評価というものを、信じられては困る。だから「よく書けた!」とわたしが言っても、「まーた言ってるよ」と流してもらえたらありがたい。
 でもでも、自己評価Sが、他己評価Aになる日がきたら、きっと褒めてね。そして言ってね、「なんだ、口だけじゃなかったじゃん」と言って、そして見直してね。応援してくれるすべての人に「もうちょっとなんです」と言っている。ゆっくり生きているわたしなので「ちょっと」の幅がとても長いのだけれど、ゆっくり生きているわたしなので、ゆっくりお付き合いくださいね。もう「ちょっと」なんです。あと十年以内にはきっと作家になっている気がするんです。
 大切な人たちと約束しているし、自分も自分を信じている。
 さて先週の日記。

 

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24.09.30㈪
 観覧車に乗るために中野栄に行った日。
 乗りたいと思い立ってからがわたしにしては珍しく早くて、すぐに中野栄へ行った。午前中は区役所へ行く用事があったので午後になってしまったけれど、思い立ってすぐに観覧車に乗りに出かけられることがおもしろく思えた。「大人買い」という言葉があるが、大人は、子どもだったらできないことがすぐにできるのだなと思った。お金と時間と体力さえあれば、という条件付きではあるけれど、子どもは思いつきの勝手な行動は制限されるので、大人になって良かったな、と思った。大人になってすでに何年も経つのに、まだこういうふうに思う。
 観覧車に乗って気付いたことがいくつかあって、ひとつは、観覧車に乗るのは人生初だったということ。もうひとつは、観覧車なんて気軽に乗る物ではないということ。それから、観覧車からの景色はてっぺんこそきれいだろうと予想していたけれど、てっぺんはちょうど観覧車の支柱の鉄骨――時計で言うところの十二時の位置――とぴったり重なるので、景色が遮られること。そしててっぺんから見下ろす風景は想像以上に怖い。展望台のような高い建物から風景を見下ろすのとはわけが違う。「ゴンドラをゆすらないでください」と注意書きがある、「ゆすることができる」不安定な場所から見る、高さ五十メートル以上からの風景は、美しさよりも恐怖を感じる。しかも中野栄の観覧車は、ゆするつもりがなくても、海からの風でぐらりぐらりと揺れる。下腹部がひゅっとなるような恐怖が上ってきて、とてもとてもきれいと思う余裕はなかった。遊園地の事故の記憶が脳内を駆け巡り、遺書も書かずに「大人っていいな」くらいのルンルン気分で観覧車に乗りに来た自分を恨み、家族や友だちを想い、無事に地上へ帰れるだろうかと不安になり、揺れるゴンドラの中で息を殺した。それにわたしは視力がかなり悪いので、風景を楽しむこともできないのだなと気付いた。恐怖で一周がひどく長く感じて、気付きの多い時間になった。
 無事に生還した後は、地上での景色がいつもよりいっそう愛おしくなって、草花を愛でながら散歩をした。中野栄駅には金木犀が咲き乱れていたが、道ばたにも秋の黄金色に変わったエノコログサや、ぷちぷちしていかにも可愛らしい紫式部が咲いていて、心地良い散歩になった。しかし写真を撮りながら行きつ戻りつにこにこして歩いていたせいか、知らない男性の集団に「おねえさん、どこいくの?」と、からかう調子で声をかけられてしまった。知らない人間同士、多勢に無勢の状態で気軽に声をかけられるのは恐怖しかないので、やめていただきたい。無視して小走りで通り過ぎて、振り返らずにコンビニまで走った。コンビニがあって良かった。
 そうして様々な情緒になりながら一種の冒険のようなものを終えて十八時に中野栄駅へ戻ると、仙石線が再開の目処もなく運休していて冒険は延長戦に入り、帰宅したのは二十二時になった。事実は小説より奇なりだな、と思うことがたくさんあって、小説を読むばかりではなく、事実を集めに外へ出るのも大切なことだなと改めて思い知ることになった。

 

24.10.01㈫
 ブログしか書けなかった日。
 先週のブログを読むとわかるのだけれど、ブログに書きたいことがまとまらずに原稿用紙二十五枚分くらいの「捨て文章」を書いてからブログを書いたら、それだけでかなりの時間が経ってしまって、ブログしか書けなかった日、としてほとんど終わってしまった。そういう風に過ごすことについては、自他共に「なにやってんの」という感想を抱くだろうけれど、ポジティブに考えるなら、自分の感情に向き合って暮らせるのは幸せだと思う。感情のあぶくのひとつひとつを掬いとることもなく、ぶくぶく泡立ったようなものが凪いで、忘れてしまうまで放置するのはもったいないことだから。
 ついこの四月までのことだけれど、忙しく働いていたときは、「たくさんの大切な感情を取りこぼして生活しているんだろうな」と思いながらも、それらを掬うこともできずに暮らしていた。自分の感情なんて取るに足りない感情の方が多いかもしれないけれど、人と会って話したこと、出会った本や好きになった文章のこと、季節で変わる草木と光のこと、日々慌ただしく変わっていく世界のことや自分の年齢のこと、そういうものに触れながら感じる、切実で大切な感情も掬い上げることができない日々が、わたしは嫌だった。
 だから今は、たとえ人に見せられないような文章だとしても、日々のあぶくを書き留めることができるだけでわたしはとても幸せな心地がする。
 そうは言っても、さすがに「ブログしか書けなかった日」で終わったというのは言い過ぎで、夫のために料理をしたり、小説のためのアイディアを出したりはする。けれど、それは添えても添えなくてもいいような言い訳である。

 

24.10.02㈬
 一日中アイディアを出して右手にペンだこができた日。
 火曜日が上記のように過ぎたので、「小説を書け、小説を!」と自分に渇を入れ、小説を書くためにノートをおろしてひたすらアイディアを出した。アイディアを出すときは、ポメラではなく手書きの方が良い。わたしはポメラを文章として組み立てるときのみ使うことにしている。小説を書いているときでさえ、行き詰まったら手書きで小説を書く。手書きはポメラに比べてうんと遅いのだけれど、手書きだと不思議なことにアイディアに困らない。自分が書いた文字を見つめながら、あれも書きたい、これも……と思いながらも時間がかかる、その時間がいいのかもしれない。もしくは、小中学生の頃に手書きで小説(とは呼べないものだけれど)を書いていた名残で、小説の神様みたいな存在が力を貸してくれるのかもしれない。神様はきっとアナログだろうから。
 行き詰まったら手書きで書く。これからも忘れずに実践したいので、忘れないでね、わたし。

 

24.10.03㈭
 志賀直哉再読の日。
 最近お話しした人が、志賀直哉の『城の崎にて』は教科書に載っていなかったような……、とおっしゃっていた。教科書が人や世代によって異なるのは当然だろうけれど、『城の崎にて』は必修の小説だと勝手に思っていたので少々ショックだった。わたしは高校の頃だったと思うが、現代文の教科書に『城の崎にて』が載っていて、なんて静謐で美しいんだろう、とものすごく感銘を受けた。『城の崎にて』に感銘を受けるあたりが、自分の人生を暗示しているなあと今では思うのだけれど、そのときはそんなことは夢にも思わなかった。わたしは事故には遭っていないが、生死は彷徨ったことがある。でも彷徨うより前から『城の崎にて』の生と死の考え方には大きく影響を受けていた。改めて読み返してみたら、わたしの死生観はまさしく『城の崎にて』だ、と言えそうな気さえした。そして、そんなことを書いてはいけないけれど、率直に言うと、わたしは志賀直哉になりたいなあと思うのだった。もちろん目指したい文章はたくさんあるけれど、やはりわたしは志賀直哉だなあ、と思った。目指したい文章を書く人は本当にたくさんいるけれど、志賀直哉だよ……やっぱり志賀直哉だよ……、としばらく脳内で志賀直哉のことを考えた。
 それから佐川恭一さんのことも考えた。志賀直哉のあとに思い出させるなんて、佐川恭一さんは罪な人である。しかし『スターライトパレスパート2にて』の完成度の高さには脱帽した。簡単に言って、佐川恭一さんの小説が好きだ。ものすごく好きだ。ただし佐川恭一さんの『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』は、好きだと言いづらいのが難点である。あまりに下品なので人に勧めづらい。……発売当時、そういう感想をXにあげたら、しっかりユーモアとして感想を受け取ってくださったので嬉しかった記憶がある。「好きだと言いづらい」だけ切り取られたら大変だ。佐川恭一さんの小説がとても好きなので。

 

24.10.04㈮
 金木犀が雨に濡れて落ちていた日。
 朝の冷え込みを肌で感じながら朝一番に外へ出たら、夜の間に雨が降っていたらしく、歩道に金木犀が散っていた。
 濡れて黒く光るアスファルトの上に鮮やかなオレンジ色が散らばっているさまには趣があるなあと思い、趣のある風景は時代と共に変わるのだろうな、と思った。「エモい」という言葉の意味は「趣がある」ということだものね。「もののあはれ」の対象は、時代時代で変わるだろうけれど、「もののあはれ」を感じたときの心の動きはきっと、平安時代も令和時代も、ほとんど違わないのだろう。

 

24.10.05㈯
 石巻一箱古本市に参加した日。
 朝から集合して車に乗り合わせ、「石巻一箱古本市」に参加した。大きなファミリーカーを所有する女性が運転手になってくれて、成人女性四人が乗り込んで石巻へ向かった。家族旅行か何かみたいで、車に乗るだけですでに嬉しくて楽しくて迂闊にはしゃぎそうになり、車内ではわたしにしては珍しく口数が多かったように思う。
 現地に着いて売り場を作るのは文化祭みたいで楽しかった。おしゃべりをしながら売り子をして、本が売れていくのを直に見るのも楽しかった。物を売る喜びに名前があるのなら知りたい。「儲かって嬉しい」というのとはもちろん違って、わたし以外にも「目の前で売れて嬉しい」という感想を口にしていた人がいたので、そういう感情は誰しもあるものなのだろう。なんていう名前の感情なのだろう。
 店番を終えて一箱古本市の会場になっている商店街を歩くのももちろん楽しかった。それぞれの個性溢れる選書と、行き交う人たちの楽しそうな顔、まだ暑い日差しの中を通り抜ける秋風。呼び声、喧噪、一緒に歩く人とのおしゃべり、一箱書店店主の人たちとのささやかな交流。高校の文化祭ってこんな感じだったな、と、わたしの数少ない楽しいだけの青春の思い出と重なる部分があって、誘ってもらえて、連れてきてもらえて、ただただラッキーだったし、ありがたいなあと思った。参加するだけで本当に嬉しかった。いろんな人と出会えて、いろんな本と出会えて、行き帰りの車の中でのおしゃべりが楽しくて、帰りの地下鉄でのおしゃべりが嬉しくて、帰宅後に作ったトマトパスタが美味しくて、幸せがいっぱいだなあと思った。
 滅多になくてもそういう日が時々あることが、これからを生きていく糧になると思う。けれど、素敵な日の思い出は言葉を重ねれば重ねるほど事実と乖離していくような気もするので、一日中楽しくて幸せだった、とだけ記す。

 

24.10.06㈰
 じゃがいもの味噌汁を作った日。
 お昼頃に起きてじゃがいもの味噌汁を作った。偶然読んだ漫画にじゃがいもの味噌汁が登場したのがきっかけで食べたくなって作ったのだけれど、じゃがいもに火を通しすぎたのか、さして感動的な美味しさに仕上がらなかった。そういうこともある。
 他は、Xばかり見ていて、一日なんにもしなかった。そういう日もある。結構、ある。気を付けなければ。

 

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2024/10/08(火)19時半頃
 もともと書いていた文量が全25枚で、うち10枚がエッセイとして提出するために消した文なので、最終的に15枚〜17枚程度だろうか。
 十月になり、無職期間が約半年になった。年度下半期になったせいか、またいろいろと挑戦していこうと気持ち新たに行動していて、書きたいことがどんどん増えて来ているのを感じる。自分だけの記録にとどめても(とどめたほうが?)いいのだけれど、記録を二つ書くのも疲れてしまうくらい新しいことが日々あって、刺激が多いので、ブログ日記も話題を絞りきらずにたくさん書いてしまう。しばらくそんな日が続くかも。続かないかも。でこぼこした気分屋の人間なので、明日のことは、わからない。
 けれどまた今週も、たくさん考えてたくさん外に出て、そしてたくさん書こうと思う。小説もエッセイも生活も、楽しみながら精いっぱい暮らすつもり。