2024/12/17㈫22時〜23時
先週は大変な週だった。
月曜日に急性扁桃炎で入院した。「嚥下痛、頭痛、高熱、倦怠感、食欲不振、声帯が潰れて声が出ない」といった症状で、月曜日火曜日が体調不良の谷底だったとすれば、水曜日は比較的すべてが緩和されて地平に戻ってきたような平穏を感じたのに、木曜日にまた急降下した。「血液検査の結果が良ければ木曜日に退院ですね」と言われていたのに、その結果は思わしくなかった。新たに「咳、くしゃみ、鼻詰まり、別種の喉の痛み」が追加され、こんなはずじゃと思っていると、また熱が出始め、木曜日の夜には39℃を越えた。一夜明けても熱は下がらず、PCR検査を受けたらコロナ発覚、金曜日は個室に隔離された。しかし、扁桃炎自体は治ったという診断になり、土曜日に、解熱しないまま退院となった。まさに踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂だった。
それから日曜日、月曜日は食欲不振ながらに食べられるものを食べ、薬を飲み、身体を休めることでようやく解熱し、火曜日現在、残る体調不良は咳と鼻詰まりと喉の痛みくらいになった。やっと、「病み上がり」の明かりが見えてきたところだ。長かった。大変だった。
しかし我ながら、「大変だった」ことをどんなに大変だったか書き連ねてみても、全然面白くないな、と思う。
面白くないなと思うのは、たぶんわたしが先週の出来事を面白いと捉えていないからだろうと思う。手術の予定ができてしまったことは単純に怖くてゾッとするしうんざりもするけれど、今現在は特段悲しいとか苦しいとかはない、それなのに、現状が面白くもない。曇天の下の凪いだ湖みたいな心境。晴れ晴れしているわけでも、荒れ果てているわけでもないけれど、曇天。
そんな気分なので、今週はちっとも面白く書けなかった。けれどブログを毎週書き続ける、更新し続けるマイルールがあるので、書いた。先週は丸ごと、体調不良日記。文章に色がないなあと思う。文も体調不良のようだ。
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24.12.09㈪
入院一日目。
午前中は嚥下痛で50mlの水分も摂取できず、もちろん食事は摂取できず、入院が決まった。かかりつけの耳鼻咽喉科で紹介状を書いてもらい総合病院へ。高熱のためPCR検査が必要だったので時間がかかり、水分補給の点滴が始まったときには14時を過ぎていて、それまで生きた心地がしなかった。診断結果は「急性扁桃炎」で、PCR検査の鼻咽頭拭いと、鼻からカメラを入れる検査は泣くほど痛かった。
「痛い痛い痛い」と言いながら検査を受けると、付き添ってくれていた夫が、カメラの映像を見て貧血を起こし、車椅子で運ばれて簡易ベッドに寝かされる事件が発生した。看護師さんの「優しい旦那さんねえ、自分事みたいに痛がってくれて」という言葉には苦笑いした。人間の身体の内部が思ったよりも苦手だったみたい、と夫は後に言っていて、たぶんそうだろうなと思っていたから。
夜は鎮痛剤の点滴が効いて嚥下痛よりも空腹が強くなったので、ハンバーグだけ食べた。飲み込むたびに、普段は喉に無いもの(腫れた扁桃)が「ある」のを感じた。違和を感じながら食べる食事はちっとも良くないなあと思いながら食べた。
24.12.10㈫
入院二日目。
起床とともに喉が完全に潰れたことを感じて、あーあー、と言ったら、やはり声は出なくなっていた。嚥下痛が夜より悪化し、朝食は食べられなかった。
昼に診察があり、また鼻からカメラを入れた。痛みに涙ぐみながら「浮腫が悪化」とカルテに書かれているのを見た。診察後のお昼はポトフのスープだけを飲み、フルーツヨーグルトをちびちび食べておしまいにした。しきりに点滴を入れているので、経口摂取できなくても別に良かった。
夜になっても熱があり、食欲もなく、鯖味噌の鯖を少しと、とろろと小松菜のお浸しを少し食べて眠った。
24.12.11㈬
入院三日目。
朝はやはり声が出ず、しかしにわかに熱が下がって倦怠感が軽くなっていた。食欲はなかったけれど身体のために朝食は全部食べた。痛みなく嚥下できる喜びが降ってきて、午後の診察では先生に素直な感謝を述べたほど。鼻から入れるカメラも、3日連続となるとすんなりできて、「良くなってますね」と病状も含めて明るい声で言われた。点滴の抗生物質がよく効いているので、明日の血液検査の結果が良ければ退院して良いとも言われた。退院なら、話せるうちに話しておこうと思い、扁桃腺切除手術をしたいのですが、と言って手術の予定も決めた。手術を「したい」と自ら申し出たけれど、本当の意味では「したい」わけがない、と思った。来月は高瀬隼子さんの『新しい恋愛』の読書会に参加できるチケットを購入しているので、その読書会の後だなあと思い、手術は月末になった。
お昼も夜も、食欲はまるで湧かなかったけれど身体のために完食した。食事ができる喜びで胸がいっぱいになり、夜はXで無駄に感謝の念をポストしてしまい、その反動でネガティブなブログを書いた。
(▲前日のわたしがあまりにも食べられなかったので、カロリーメイトのゼリーが追加された朝食。)
(▲お粥よりは素麺のほうが食べられそうだったので、素麺にしてもらった。病院食は魚料理がおいしい。)
(▲夜も素麺。チキンのクリーム煮と白菜の梅肉和えが美味しくて、食べる喜びを噛み締めていた。)
24.12.12㈭
入院四日目。
起床してすぐ血液検査用の血を抜かれた。体感として前日よりも喉が酷く痛んでいた。風邪症状みたいな鼻水、咳、くしゃみもあった。診察室には呼ばれずに病室に来てくれた先生は喉を見て、曰く、ステロイドの効果が切れたのでしょうとのことだった。血液検査の結果は水曜日の想定より悪くて、退院は土曜日の予定になった。
日中は微熱があり、夜に向けてどんどん熱が上がった。鼻が詰まり、咳、息苦しさで口呼吸になって、喉がカサカサに渇いて痛かった。口を開けるせいで涎が垂れるしいつの間にか鼻水も垂れてくるという不快な状況で眠れず、22時を過ぎても眠れないので、ベッドに傾斜をつけることを思いつきほとんど車の座席みたいな傾斜で寝た。咳を我慢するせいで唸りながら眠っていたら、夜の見巡りの看護師さんに心配されて、熱を測ってみたら39℃を越えていた。
(▲体調不良なりにうどんは美味しかった。)
(▲寒気がするので温素麺に変えてもらった。温素麺は量が異様に多かった。)
24.12.13㈮
入院五日目。
体感として喉の痛みの種類が扁桃炎のそれとは違うこと、急に咳とくしゃみと鼻水が始まったこと、熱の急激な上がり方、潜伏期間などを考えてコロナなんだろうなと思っていたら、看護師長さんが来て、検査を受けてくださいと小声で言われた。そうして月曜日以来の鼻咽頭拭いの痛いPCR検査を受けたら、見事に陽性反応が出て、コロナだった。院内感染ですかね、ごめんなさいね、と先生に言われたけれど、おそらく最初に受診した耳鼻科でもらってきたと思うので、と言った。
部屋を個室に移されて、一日中高熱。食欲はなかったけれど、食べないとだめだ、と思ってだいたい食べた。捨てられる容器での提供に、要らない手間を増やしてごめんなさい、という気持ちになった。誰も悪くないのだけれど、謝られたり謝ったりした。
24.12.14㈯
入院六日目。退院日。
熱はあまり下がっていなかったけれど、コロナで入院を延長させることはできないということで退院。たしかに扁桃炎は木曜日くらいには治っていたような気はした。ポジティブに考えなければいけない、という義務感が発生し、フェイスシールドを付けて部屋に診察に来てくれた先生に「術後にコロナになるより、今なっておいた方が良かったですよね」と言った。同じことを言ったら看護師さんには「そうですね、術後だったら咳で生傷が開いたかもしれません」と恐ろしいことを言われて同意されたのに、先生には「今も決していい状況ではありませんが」と言われた。続けて、「ただ入院中だったので診断はスムーズで良かったですね」と言われたので頷いた。退院時に咳止めを処方してもらえたのも良かった。だからおそらく良かったのだと思った。
コロナ患者専用のタクシーがあると言われて呼んでもらい、一人の看護師さんに見送られ、一人で退院した。何が専用なのか分からない普通のマスクをした運転手さんの運転で普通のタクシーに乗せられて帰宅すると、見計らったように夫がマンションの外まで迎えに来てくれて、気が抜け、立っているのが急に億劫になった。おんぶして、と言いたくなるような無性に甘えたい気持ちが沸き上がってきて、泣きそうだったので黙った。そのまま甘えた足取りでゆっくり歩いて自宅に入ると、たった五日家を開けただけなのに、ずいぶん懐かしい場所に来たような気がして変だった。夫がご飯を作ってくれていたのを食べて、薬を飲み、寝室と別室に無理やり寝床をこしらえて、そこで過ごすことにした。
夜はまた食欲がなくて残しそうになったけれど頑張って食べて、寝た。夜中は咳が酷くて何度も起きた。
(▲退院前の朝食。笹かまぼこのサラダに入った青じその風味を感じられたので、味覚嗅覚に異常は無さそうだ、とホッとした。)
24.12.15㈰
コロナが去るまでやり過ごすしかないという気持ちで起床し、食べて薬を飲み、本を読んで過ごし、また食べて薬を飲んだ。午前中は漫画を読み、午後は小説を読んだ。思うところがあって、高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を再読した。
「わたしは今仕事をしてなくて良かった」と思った、とだけ書いておこう。