あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

13、24、26

9時22分、曇天。少し肌寒い。

 

昨日の夜は「やっぱり」眠れなくて、夜中の2時過ぎまでTwitterを見ていた。朝8時過ぎに家を出る彼がリュックを背負うまで起きられなくて、細切れの夢をたくさん見ながらやっとの思いで玄関まで行って、「次会えるのは、15日?」とだけ訊いた。私も今日から帰省だし、だらだらと朝を過ごしてはいけない。

 

いろんなことが不安になったり楽しみになったり、好きだと言われて嬉しくなったり好きな人を眺めて苦しくなったり、情緒不安定。だから「やっぱり」夜は眠れないし、朝は起きられない。不安な日は、好きを通り越した遠い憧れを眺めて自分はなんて小さいんだろうと思うようにしているんだけど、昨夜はレフ・ニコラエヴィッチ・トルストイのことを考えて気を紛らわせた。彼が日記を始めたのは19歳の時。一方、私が日記を始めたのは12歳の時。アンネ・フランクはたしか13歳だったかな。ルーシー・モード・モンゴメリはいつだったかな。私は日記を書く人が好きだ。平安時代日記文学を知ったときは人知れず興奮した。枕詞も知らなかったあの日々。高校生に戻りたいな、でも今まで歩いてきた道、乗り越えてきた苦痛を思うともう一度それらもおまけでついてくるなんて堪らないので、やっぱり戻りたくないな。

 

夜な夜なTwitterを見ていたら彼が「だめだめ、皮がむけたよ」とむにゃむにゃ言ったのでびっくりして「なにがむけたの?」と優しく問うと「くるみ」と言われた。「くるみ?」「そう、くるみ」、彼が、乾燥させる前の胡桃が青い果実に包まれていることを知っているのか甚だ疑問だったけれど、寝言を聞くのも、寝言に相槌を打つのも良くないことのような気がして、それがあってからはちゃんと眠った。彼が寝言で私のことを呼んだのでそれだけが満足だった。夢にはまた前職の人たちが出てきた。夢の話を書いて意識してしまうとまた似たような夢を見てしまうので、夢のことは詳しく書いちゃいけない気がする。玄関に前職の同期からもらった色紙を飾るのを、やめたいような、ずっとそこに置いておきたいような。9月に会いましょうね、と約束したのに、9月に遠くへ行っていること、8月にはもう会う暇がないことを、いつのタイミングで言ったらいいのかわからない。大して望まれていないような気がするし、反面、私が誰かに「大して望んでいないでしょ」と言われたら悲しくなることを思うと、こちらから連絡をするべきだなあと思う。

 

「最近は、会いたい人には会う、行きたいところへは行ってみる、やりたいことは何でもやってみる、挑戦心を大切にしています」と最終面接で豪語したけれど、2年前の夏にも似たようなことを言っていて、似たようなことを言ったことすら忘れていたから、いい加減なポリシーだなと思った。2年前の夏のこと、思い出すよりもはっきりと日記に書かれていることが嬉しい。なんでもかんでもすぐに忘れてしまうから。

 

9時48分。洗濯をして掃除して、家計簿をつけて郵便局へ行って、荷造りをして帰省して。地元では新しい会社への差し入れのためのお土産を買うのを決して忘れないようにしなくちゃ。次会えるのは15日。