あるいは

こつこつと、日々により添って、丁寧に日記を

引っ越し準備の月曜日

今日も曇天。朝は小雨が降っていて、昼は湿度が高く、パソコンまで調子が悪い。

 

4か月の単身赴任(研修)のスタートが今週末に迫り、引っ越しの手配をした。転職先の総務部の人たちに、まだ内定者であるという意味も込めて「お世話になっております」とメールを始めるのも今週いっぱい、木曜日までのことだ。「御社」が来週には「弊社」になり、電話口で名乗り慣れた社名が唇に浮かばないよう、新しい社名を何百回と練習しなければいけない。そのうち前職の人たちの夢を見ることも減るだろう。一抹の寂しさもあるけれど、寂しさに浸っている暇はない。生きていくためには、働かなければならないから。

 

8月19日、バイクの日、ハイクの日、俳句の日、に、彼と弾丸東京日帰り旅行へ行った。8時台の新幹線に乗り、上野に着いたのは11時近くだった。前日、遠足前の小学生の気分にプラスして、新しい上司達と飲みに行き入社がいよいよ現実的になったという感傷もあり全く眠ることができず、新幹線の中で爆睡してしまったので、寝ぼけて降りた上野から、ソラマチまでどういうルートをたどったのか全くわからない。上野駅には彼と付き合い始めた4年前の12月にも二人で降り立ったことがあるので、4年前に撮った写真を見ながら同じアングルでもう一度写真を撮った。二つのクリップを絡めたようなオブジェが4年前からほとんど劣化していないように見えて、人間の生命だけが年を重ねることに寂しさを感じた(寝ぼけていたけれど)。

 

ソラマチに行ったのは、彼が好きなイワサキビーアイの食品サンプルのコンクールの展示がされているからだった。8月末までの開催だったが、お盆時期に新幹線で往復するのを避け、8月19日になった。

私が彼と付き合わなければ知ることのなかった世界だなあと思いながら、ソラマチの連絡通路に並べられたダイナミックな食品サンプルの数々を見た。「彼と付き合ったからこそ知ること」に触れるとき、私は一等嬉しくなる。美術館や博物館には興味の薄い彼が、なぜか食品サンプルの展示には目をキラキラさせてせわしく動き、表情をくるくると変えていくのだから興味深いし、簡単に言うとめちゃくちゃ可愛い。私も眠さがようやく晴れていって、二人でこれでもか、というほど写真を撮り、鑑賞しながら「これすごいよ!」とか「見て! 美味しそう!」とか言い、先に走って行って呼んだり後ろに呼び戻したりした。食品サンプル職人になりたい、と彼が言うので、転職にはどんな経験が必要なんだろうねえ、と相槌を打った。本気なら応援したい、と思っているけれど、本気だろうと思っているからこうして二人でコンクールの展示を見に来ているのだと思った。夢を追うから私もこうして日記を書くわけだし、彼の夢だってどんなものだって応援したいと思う。口に出さない夢は叶わない、からね。

 

展示を見終わった後はショップへ行き、昼食に抹茶パフェを挟み、吟味の結果10,000円を超える出費をものともせず、選ばれし食品サンプルを家に持ち帰ることにした。天気が崩れ出す中、合羽橋へ移動し、今度は私の買い物に付き合ってもらうことにした。今回は「盛り付けて絵になるカレー皿」と「お通しを出すような小鉢」が狙いで、合羽橋にある食器屋さんを総なめにするつもりだったが、17時で閉まる店が多いことを知らずにゆっくり回ってしまい、見物できない店が多々あった。特に「風和里」で木製の食器を見たいと思っていたのに、18時過ぎに着いてしまい、「また来ようね……」と次の旅行の約束を取りつけるだけになってしまったので、残念なのか喜んでいいのかわからない気持ちになった。旅行をするときには閉店時間に注意しなくてはいけないなと思った(黒塗りのカレー皿と梅モチーフの紅白小鉢を購入できたので満足だけど)。

 

昨日はこの日記を書くにあたって、

"合羽橋で閉店間際に無理を言って買った黒塗りの食器がつやつや光っている。「料理はできますか?」という問いに「はい」と答えると「すごいですね」と言われることはよくあってーー"

から始めようと思っていたのに、日が変わるとその始め方に納得がいかなくなるものだなあと思った。買ってきた食器をすべて丁寧に洗って水切かごに並べて置いたのが、レースのカーテンを通して差し込んできた日差しにあたってつやつや光り、確かにきれいに見えたのだけれど、今日はそういう気分ではなかった。

 

引っ越しの段取りがだいたい決まったので、ちょうど今日から4か月、ブログで長文を書くことはなくなりそう。スマートフォンからもログインできるけれど、スマートフォンで長文を書くのは難しい(億劫な)ので。

新しい恋を

 

霧雨の中傘も差さず履き慣れたパンプスのかかとをカツカツ言わせながら夜道を帰ってきた。林檎サワー、巨峰サワー、そしてレゲェパンチを4杯飲んだ。新しい会社の人事担当者と、営業所の部長と、まだうら若き私とで、駅地下の小料理屋で海鮮や、焼き鳥や、揚げ物や、名物料理を食べながら、会社の話やプライベートの話、前職の話、趣味の話、人事の人が飼っている猫が可愛いという話、結婚の話、家族の話、小説の話など、些細なことをたくさん話した。飲みながらの雑多な話の内容を、人はどのくらい覚えているものなのだろう。レゲェパンチはピーチフィズをウーロン茶で割った飲み物で、ウーロン茶を飲む感覚でどんどん飲んだら、4杯目でさすがに気持ちが悪くなり、デザートの和風パフェを残しそうになった。新しい上司達も大分飲んでいたし、お酒に強くないと言った人事の人は帰る時には目を真っ赤に充血させていた。気持ち悪くなるほど飲んだ私はこうして割と素面と変わらずに文章を書けるくらいはお酒に強いらしく、「顔色が全然変わらないね」と年齢が二倍以上の人に褒められた。私はこうして文章を書いて会話の内容を反芻し、永遠に文章として残すことができるけれど、普通、飲みの席での会話を、偉い人は、大人は、どのくらい覚えているものなのだろう。面接の時に話したことと同じような質問をもう一度され、面接の時にどう答えたのか忘れた私は、面接の時の‟設定”を忘れてしまったので、彼と同じ市内に住んでいることや、4年付き合っていることや、結婚を見据えていることなども話してしまった。どうか、酒の力ですべて忘れてもらえたら……と思うけれど、覚えているものなのか、どうなのか。

 

なんでも聞いて、素直に個性を出していい、と「大人」は言う。個性の強い人ばかりだから、あなたも個性を出して働くといい、とか、頑張りすぎず無理しすぎず、悪意を混ぜなければたまに吐き出してもいい、ため込んで折れてしまう前に話してね、と言う。バカな私は真に受けてしまう。「なんでも話していい」と言われるから「なんでも」話すのに、それを説教されてしまう。中庸が難しく思われる。前職でも、「なんでも」話していたのにそれをネタに陰口を言われてしまうことがあった。建前と本音とは言うけれど、みんな、裏表分けすぎじゃあないの? と思う。

 

頑張りすぎない、ということがどういうことなのかわからない私は、貯金がゼロになっても両親にはお金を工面してもらおうとは思わないけれど、そんな私に新しい上司は「頼れるときに頼っておいた方がいいよ」と一般論でアドバイスをした。妙に意地を張るのはよくないので「そうですよね、若いうちだけですもんね」と私は納得して見せた。心の中では意地っ張りな私が、口先だけですけどねと添えていて、ああやっぱり、頑張りすぎないことって難しいよ、と思う。

 

前職の話をするとコンプレックスみたいに、一緒に働いた先輩のことやマネージャーのことが恋しくなったけれど、新しい恋人がいるので元恋人のことを褒めることはできない気持ちで、前職のことを悪く言った。内定者として前の上司ともご飯を食べに行ったな、と思いながら向かいに座る新しい上司を見ていたらたまらなくなり、泣き出してしまうかと思った。最後に泣いたのはいつだったか。思い返すと最終面接が中止になった先月だから、そんなに前でもなかった。

 

「上司」はどこでも、誰でも、似たような話をするものなのだな、と思いながら、前職の人たちのことがいちいちフラッシュバックされるので、いい加減未練たらたらなのをやめたいなと思う。車の運転ができるようになったのは前職の先輩のおかげなので、車の運転をやめない限り一生思い出し続けるのかもしれない。サワーを飲むたび、車で来ていた上司二人がノンアルを頼んだ後に私がレモンサワーを頼んでしまった思い出がよみがえるのかもしれない。初恋のことを一生思い出すみたいに、新入社員の一年間のことをずっとずっと忘れられないような気がする。新しい恋をしたい。新しい上司のことを早く好きになりたい。一生懸命私との会話を考えて、訊き出した情報を横流しにしていた可愛いヤンキー上司の思い出が、ただのエピソードになるまでにはもう少し時間がかかるようだ。

 

駅のエスカレーターの前で別れて、振り返ると二人の上司の革靴の先が最後まで私の方を向いていたので、きっと好きになりたいと思った。

消えた夏

 

久しく晴天を見ていない。ブログを読み返すとわかる。8月7日に台風の影響で大雨が降ってからもう10日ほどずっと曇天ばかりを見ているような気がする。

 

昨夜大学時代の友人と駅ビルの中でご飯を食べた後、外のエスカレーターに乗って夜風を受けると半袖からはみ出した腕を思わず両手で掻き抱くほどには肌寒かった。両腕を擦りながら、「夏ってもう終わったの?」と友人が言い、「終わっちゃったのかなあ、夏」と私も言った。雨が降ることも多く、今朝も一時間ほど大粒の雨が降り、すぐに止み、雲がちっとも減らないようでまだ分厚い雲が空を覆っている。

 

「どうしているの?」と母から電話で問われると、「どうもしていないよ」としか言えないような日々を送っている。前職の人たちに責められる夢や、嘘に嘘を重ねてしまう夢、前職をうまく辞められていない夢などを見てはうなされ、喉がカラカラになって起きる日々を過ごしている。

 

引っ越し先ではインターネットが使えないようなので、ここはしばらく冷凍保存になりそう。

盆土産

三浦哲郎の『盆土産』を、お盆が来るたびに思い出す。最近は書店で国語の教科書に載っていた物語をまとめた本が出版されているし、ヤフーでもグーグルでも検索すればすぐに本文が読める。読み直して記憶を新しくしたけれど、頭の中に残っている印象的なセリフは記憶の上塗り前と同じ、姉の「えんびじゃねくて、えびフライ」という、苛立ったような、無関心なような声音でのセリフだ。東京から夜行で八時間の距離の村からバスでさらに一時間の田舎に住む家族の話。分校があったり、崖があったり、村はずれのつり橋があったりするから山奥が舞台だし、言葉から察するにきっと東北……、いや、言葉から察しなくても、東北であったらいいな、と思う。中学の教科書に載っていたから読み上げたのは中学の国語教師だったはずなのに、記憶の中では秋田出身の訛りが強かった小学校の担任の教師の声で再生される。「えんびじゃねくて、えびフライ」。エビフライをかじったオノマトペに「しゃおっ」を用いているのが流石だと思う。「おいしそう」という言葉を用いなくてもその音だけで、こんがりと揚った熱々のフライが想像できて、口の中にそれに近い味の記憶がよみがえるような文章。

 

 

お盆休み明けの彼は今朝、普段より早い電車に乗りたいといい7時30分に起きた。それで早いと言える会社にいていいな、と内心思いながら私も起床して、朝食のためにランチョンマットやボウルの準備をした。準備と言ってもただたまごかけごはんを彼が作るためにボウルにご飯をよそったけだったから大したことはしていないけれど、私も勤め始めたら「大したことない」準備すらできないと思う。何より、8時ぎりぎりまで眠っている彼とは違い、勤め出したら私は7時には家を出なくてはいけない。女が家を出るためには準備時間に一時間はほしいところだから、6時起きになる。6時に起きるなら就寝時間は遅くても24時。19時帰宅で夕食の買い出しをし夕食を作れば21時を過ぎる。後片付けをしシャワーを浴びれば22時、少し気を抜けば23時になる。そのあたりには眠くなりだし、眠るかもしれない。そして朝の6時……。

 

カレーの隠し味にサバの味噌煮缶詰を入れるといい、と母に聞き、彼のお盆休みの最終日だった昨日、試しに作ってみた。市販のカレールーひと箱で二人分のカレーを煮込むと浅い味になりがちだからこその隠し味だったが、彼は「サバ缶の味がするね」と言った。とげはなかったけれど、「おいしくない?」という問いに一瞬の間があって「おいしいよ」だったので、あまりおいしくなかったのかもしれない。連休の最終日で、二人で仲の良い時間をたっぷり過ごした後だったし、身も心もリラックスしていたからこそ彼のその間にも(口に合わなかったかな……)と胸の中でつぶやいただけで済んだけれど、もしも6時起きの19時帰りが続く平日に手塩をかけて作った料理に対して無言の文句を言われようものなら、拗ねない自信が全くない。カレーについては特に、以前作ったカレーが一番安価な市販のカレー粉を使ったら味に深みがなく「物足りないね」と言われてしまったからこそ隠し味を考えて作ったものだった。試行錯誤して、前よりもおいしくしよう、うまくつくろう、と思っているものが不評だったら、仕事帰りで余裕のない私は、泣きだしてしまうかもしれない。

 

彼が盆土産に買って帰ってきたたまごかけごはん用の醤油を入れすぎて、少ししょっぱすぎるたまごかけごはんを朝食に食べながら、こんな朝を過ごせるのも今だけだなあと思った。

空の白んだ月曜日

徹夜をしてしまった。

 

気がかりなことがあったり、夢が怖かったり、読み進めた本が面白くてやめられなかったりするときに徹夜をすることはあったけれど、今度の徹夜は目的もなくただ漫然と、空が白んでいくのを横目に、隣室から聞こえる物音に耳を澄ませびくびくしたり、みんなが寝静まって更新されないTwitterの更新を待って何度も下にスライドさせたりしながら夜を明かしてしまった。

 

読み進めた本はあまり面白くなかった。

正しく言うと、短編集の中で気が向いた二編しか読んでいないし、描写や比喩が丁寧で文章としては好きだったし、話の進みや設定には無理がなく、人物のバックグラウンドがしっかりとしていて、昨今の軽すぎる設定のエンタメ小説とは違っていて、いいな、と思った。1999年の小説だからスマートフォンはおろかパソコンも出てこない、少しだけ古びた、だけど「古い」というには洗練されすぎている、落ち着いた小説だった。だからあまり面白くはなかったのかもしれない。二編とも「ふーん」と思いながら読んでしまった。文章は好きだったので「ふむふむ」くらいには思ったけれど。

 

日付が変わっても特別なことは何もないし、依然として寝たいと強く思うほど眠くもなく、8月14日をこのまま始めてしまっても良いような気がする。今日は友人たちと温泉に一泊した彼が昼頃に帰宅することになっているので、部屋の掃除をしたほうが良いかもしれない。

 

書きたいことがある日だけここの日記を書いたほうがいいような気がするときもあれば、毎日継続することがいいような気がするときもあり、今朝は後者に思っているので書いたけれど、自分で自分の文章を読み返しても「ふーん」としか思えない。

人の文章の中にも、自分の文章の中にも、珠玉のような表現を求めてしまう。珠玉、それは読んで字のごとく透明に赤いルビーのような宝、のような表現。そんな表現に出会いたいものだ。今、少し眠たい。

書けない日

今朝、前職のマネージャーのひざ元にうずくまって私が泣いている夢を見た。「本当は」と私は言っていた。「本当」なんて自分でもよくわからないのに。夢の詳細は覚えていないが、私の席の隣には先輩がいて、久しぶりの仕事で手順がわからずあたふたしている私に先輩はひどく冷たく当たり、戸惑う夢だったような気がする。夢から覚めても泣いていた感触が喉に、目に、手に、残っていて、今朝はプールから上がったときのような気だるさをもって起きた。

 

帰省はたったの二日間で、両親と兄弟と知人達と顔を合わせ、お土産を買い、野球を観て、お酒を飲み、チーズを食べながら兄と語らい、弟の成長を見て目を細め、わざわざ地元で本を買い、重い思いをしながら小雨の中とんぼ帰りで帰宅した。人と話した分だけ何か書き残したいことがあったのに、今朝マネージャーの夢を見たらすべて忘れてしまった。お墓に手を合わせることもなく戻ってきてしまったので先祖が枕元に立つのであればわかるような気がするが、なぜマネージャーの膝に目元を押し付けて泣く夢など見たのだろう。私の涙でできた染みがいやにはっきりした変な夢だった。「本当は」なんだったのだろう。

 

終わらなかった物語も、始まらなかった物語も、想いも出来事も、忘れてしまう。

 

恋人である彼が私の頭に残る大きな傷跡の始まりを撫でて「よく頑張ったね」とほほ笑んだこと、私が年上の男性の賢さを語ると父は私をたしなめること、私がバスの中で失くした100円玉はテレポーテーションとタイムリープを経て先日彼の会社の廊下に落ちていたこと、「最近はどんな本を読んでいますか?」という19歳の女の子のまっすぐなまなざしに耐え切れなくて彼女の肌がすべすべ光っているのを見ながらも目を見返すことはしなかったこと、6年前の私のことを弟が「お兄ちゃんもできなかったすごいこと」をしたと表現したこと、中心がへこんでいてカーキのリボンで巻かれた麦わら帽子、美味しくないと思いながら飲み込んだお供え物のみたらし団子。

 

8月、選ぶなら一つ。答えが最初から決まっているので迷う時間はいらない。私は、8月に散文を選ぶ。一瞬も迷わなかった。「好きな人、いる?」と訊かれて思わず空に誰かを描いてしまう小学生の女の子のように、一瞬で私は思ったよ。芥川賞の選評が載った分厚い雑誌を見て胸がときめいたよ。誰かに届いてほしかっただけ。夏にいつも焦がれているだけ。

 

今日は全然だめだ。こんな日に日記を書くべきではない。おしまい。

13、24、26

9時22分、曇天。少し肌寒い。

 

昨日の夜は「やっぱり」眠れなくて、夜中の2時過ぎまでTwitterを見ていた。朝8時過ぎに家を出る彼がリュックを背負うまで起きられなくて、細切れの夢をたくさん見ながらやっとの思いで玄関まで行って、「次会えるのは、15日?」とだけ訊いた。私も今日から帰省だし、だらだらと朝を過ごしてはいけない。

 

いろんなことが不安になったり楽しみになったり、好きだと言われて嬉しくなったり好きな人を眺めて苦しくなったり、情緒不安定。だから「やっぱり」夜は眠れないし、朝は起きられない。不安な日は、好きを通り越した遠い憧れを眺めて自分はなんて小さいんだろうと思うようにしているんだけど、昨夜はレフ・ニコラエヴィッチ・トルストイのことを考えて気を紛らわせた。彼が日記を始めたのは19歳の時。一方、私が日記を始めたのは12歳の時。アンネ・フランクはたしか13歳だったかな。ルーシー・モード・モンゴメリはいつだったかな。私は日記を書く人が好きだ。平安時代日記文学を知ったときは人知れず興奮した。枕詞も知らなかったあの日々。高校生に戻りたいな、でも今まで歩いてきた道、乗り越えてきた苦痛を思うともう一度それらもおまけでついてくるなんて堪らないので、やっぱり戻りたくないな。

 

夜な夜なTwitterを見ていたら彼が「だめだめ、皮がむけたよ」とむにゃむにゃ言ったのでびっくりして「なにがむけたの?」と優しく問うと「くるみ」と言われた。「くるみ?」「そう、くるみ」、彼が、乾燥させる前の胡桃が青い果実に包まれていることを知っているのか甚だ疑問だったけれど、寝言を聞くのも、寝言に相槌を打つのも良くないことのような気がして、それがあってからはちゃんと眠った。彼が寝言で私のことを呼んだのでそれだけが満足だった。夢にはまた前職の人たちが出てきた。夢の話を書いて意識してしまうとまた似たような夢を見てしまうので、夢のことは詳しく書いちゃいけない気がする。玄関に前職の同期からもらった色紙を飾るのを、やめたいような、ずっとそこに置いておきたいような。9月に会いましょうね、と約束したのに、9月に遠くへ行っていること、8月にはもう会う暇がないことを、いつのタイミングで言ったらいいのかわからない。大して望まれていないような気がするし、反面、私が誰かに「大して望んでいないでしょ」と言われたら悲しくなることを思うと、こちらから連絡をするべきだなあと思う。

 

「最近は、会いたい人には会う、行きたいところへは行ってみる、やりたいことは何でもやってみる、挑戦心を大切にしています」と最終面接で豪語したけれど、2年前の夏にも似たようなことを言っていて、似たようなことを言ったことすら忘れていたから、いい加減なポリシーだなと思った。2年前の夏のこと、思い出すよりもはっきりと日記に書かれていることが嬉しい。なんでもかんでもすぐに忘れてしまうから。

 

9時48分。洗濯をして掃除して、家計簿をつけて郵便局へ行って、荷造りをして帰省して。地元では新しい会社への差し入れのためのお土産を買うのを決して忘れないようにしなくちゃ。次会えるのは15日。